時短・英語・プログラミング・心理/社会😋みさた

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【日々感じたこと】言葉のはなつ力

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学部生の時に僕はアルバイトで家庭教師をしていた。

僕の受け持った生徒は、中学校に上がったばかりのまだあどけなさが残る少女だった。
陸上部で勢力的に活動する、ショートカットの似合う子で、性格もハキハキしていた。
口数が多くはなかったが自分の意思はちゃんと伝え、真面目に課題も宿題もこなす素直な子だった。

扱った国語の教材に吉野弘の「虹の足」が取り上げられていた。
国語の教科書の教材としても、取り上げられているこの作品。日本人ならば、一度は目にしたことがあるはずだ。

僕が最初にこの作品に触れた時のことは忘れてしまったが、
虹と人生の幸福を同一視する作者の人生観と「幸せ」・「人生」に対する考え方に感銘を受け、いまだに好きで時々読み返す。
普段から幸せや心について常に考えている人には、ひょんなものが幸せの実体として見える時があるようだ。

教材には詩の冒頭にある「乾麺みたいに真直な 陽差しが」という部分の「乾麺みたいな」の部分に棒線が引かれ、
「具体的にどのような陽射しか説明しなさい」という設問が設けられていた。

私はこの問に落胆した。
比喩表現についての見識を深めるための設問であったと考えられるが、
この設問は自由な表現を形式化してしまう……。
そう考えながら、別綴の回答雑誌に目を通すと、回答には「白い・細い」と書かれていた。
落胆する気持ちがさらに強まった。
教育として答えを押し付ければ、言葉が解放する想像力を奪ってしまう。
比喩を言葉に置換する必要がそもそもあるのか、湧いてくる心象をそのまま感じるのが比喩の力ではないのか。そんなことを考えた。

そんな思案をしていると、彼女はボソっと「折れそう」と答えた。

「折れそうな陽射し」という語感の美しさに一瞬言葉を失ったと同時に、この言葉を聴いた瞬間、私の頭の中に繊細な、もはや存在しているのかどうかさえ危ういほどに透き通った、しかし、確かに実体をもって堂々と存在している陽射しが活き活きと目に浮かんだ。


この設問によって解釈の自由さに枠を付けてしまうと決め込んでいた僕こそ視野が狭かったことに気付かされた。
「固定概念」というより大きな枠に囚われていたのは僕だった。
他者の何気ない一言が、自分がどんなにもがいても超えられなかった壁を打ち砕く。彼女の一言によって、そんな経験をさせてもらった。